今私達の食生活では、「細く長く、短く太い・・・・」等人生と同じく多様な麺類が存在しています。その麺類は、どのような形態で、またいつ誕生したのでしょうか?
その歴史の流れを見ていきましょう。
奈良・平安時代 ~貴族中心の華やかな時代~
この時代は、遣隋使・遣唐使により多様な大陸文明が伝わりました。従来の日本にはない食文化として、唐からは粉食菓子の一種である唐菓子(からがし)が伝来しました。これは、小麦粉や米粉に塩などと水を加えて練り合わせて、蒸したり油であげたものでした。唐菓子は、貴族の間では主に儀式用の供え物、接待用の高級菓子として用いられました。
素麺の原型??
唐菓子の中に、素麺の原型と考えられている索餅(むぎなわ)があります。小麦粉や米粉に塩水を加えて混ぜ合せ、引き延ばして縄のようにより合わせたもので、日本の最古の麺類と記録に残されています。
そば食の始まり
そば食の歴史は古く、「続日本記」にもその記録が記されています。痩せた土地や寒冷地でも育つそばは、救荒作物として、栽培が奨励されました。その頃のそばは、粉をお湯などで練った「そばがき」や蒸した「そば団子」として食べるのが一般的だったようです。
鎌倉・室町時代 ~お坊さんのおやつ?~
この時代は、武家中心の社会となり幕府が開かれました。一方で栄西、道元によって、臨済宗、曹洞宗などの禅宗も伝えられ僧侶が活躍する時代でもありました。
うどんの始まり
修行僧達は、中国より伝播された茶子(ちゃのこ)や点心と呼ばれる寺院食品を朝夕の食事の合間に口にするようになり、厳しい修行の憩いとしたそうです。この点心には饂飩(うんどん)、基子麺(きしめん)のようなものがあったとされています。この饂飩(うんどん)が、現在食べられているうどんの元祖と考えられています。禅宗が武士の間に広まり、公家や武家達も仏事に関する集会を催した際には、饂飩(うんどん)に汁や具をそえて、顧客に振舞うようになりました。このもてなしは、日本人の朝夕二度の食事習慣を三度に変えるきっかけにもなったようです。この頃のめん類は、禅宗の教えとともに、僧侶から武士、そして庶民へと普及され、次第に大衆化されていきました。
江戸時代 ~江戸のファーストフード?~
明治時代 ~中国で生まれイタリアで育つ~
この時代は、武家社会が終焉し、「文明開化」の風潮が広まり、西洋文明が取り入れられ食の分野でも大きな変化をとげていきました。 東京、横浜、神戸等の都市部では、上流階級の間で西洋料理が食べられるようになり、この頃にマカロニ・スパゲティも渡来してきました。
パスタ類の普及
マカロニ・スパゲティは、マルコポーロがその原型を中国から持ち帰り、その後イタリアを中心に普及しました。 当時、高級レストランで使われていただけで、値段も高く、庶民には馴染みの薄い食べ物で あったようです。その後、昭和29年にイタリアから自動製造機を輸入し、量産化が始まると、次第に庶民にも普及し始めていきました。
大正時代 ~混乱からの誕生~
この時代は、世界的な不況や関東大震災等の影響もあり社会・経済は不安に包まれていました。その中で中華麺(ラーメン)が登場します。
ラーメンの誕生
実際、中華麺がいつ頃、どこに渡来したのか様々な見解がありますが、明治末期から大正初期にかけて横浜から始まったのが定説といわれています。そば屋、うどん屋の影でラーメン屋の屋台が目に付ようになり、徐々に一般に広まっていきました 。後に、ラーメンと呼ばれるようになり、今やめん類の中では、最も親しまれるようになりましたが、その誕生はいたって地味なものだったようです。
昭和時代
この時代は、敗戦の経験及び経済復興を成し遂げ今までになく食文化もの変化をもたらせました。大正時代に登場した中華麺は、その後、昭和40年代に入って、現代の御当地ラーメンの先駆けともいえるサッポロラーメンのブームを興しました。それに続いて、喜多方ラーメン、東京ラーメン、博多ラーメンなどがそれぞれ独自の味が人気を呼び、テレビ、雑誌などに取り上げられるようになってきました。
即席麺誕生
昭和33年には、即席麺が誕生し、折から高度成長時代の食事形態の要求とその調理の簡便性より、国民の支持を得て瞬時に日本人の食生活に入り込み、定着していきました。即席麺は、その後カップタイプも誕生しお湯さえあればどこでも手軽に食べる食品と変化していきました。
現代??
日本麺の食文化は、時代毎の文化を融合して多様なスタイルの麺類を生み出しました。一方で現代は、高齢化社会、環境問題及び栄養過剰による問題も食生活に影響を及ぼしています。現代に対応した麺類はどのようなものでしょうか?だれにも好まれる麺類は、時代の変化を感じ取りながらあらたな誕生を期待したと思います。
食品加工学研究室 博士(食品栄養学)谷口裕信