2021年4月より戸板女子短期大学 国際コミュニケーション学科の専任教員に着任された押切孝雄講師。
WEBブランディング企業の経営、書籍の執筆、また他大学でも10年以上講師を務められるなど、ビジネスの世界の第一線で活躍されています。
そんなデジタルマーケティングのプロに、戸板女子短期大学と日本の若者への想いを語っていただきました。
きっかけはYouTube。戸板女子短期大学との数奇な(?)出会い。
私が戸板女子短期大学を知ったきっかけについてお話しします。
「デジタルマーケティングの教室(マイナビ出版)」を執筆している際、動画戦略に長けた企業を探していました。通常であれば、一般企業やベンチャー企業などが挙げられますが、私が見つけたのが、大学、しかも女子短大。
魅力的なYouTubeチャンネルを運営していたのが戸板女子短期大学でした。
いわゆるよくありがちな、業者がキレイに作った動画ではなく、
戸板女子短期大学では学生が主体になって動画を作成していました。
各学科の現役の学生がキャンパスを案内するものや、学生会のzoomを介した動画など、
そのほとんどは学生の手作り感があり、好感のもてる内容でした。
だからこそリアリティがあり、信頼感も高かったです。
そんな戸板女子短期大学のYouTubeをあらかじめ見ていたので、入職前と後で学生に対するギャップはほぼありませんでした。
YouTubeを見て感じた通り、親しみやすく元気な学生が多い印象ですね。
その学生を受け入れる教員や職員も
「入学した学生をしっかり教育して卒業させよう」
という意識が高く、コミュニケーションが細やかで、まとまりのあるチームだと入職した今でも感じています。
2年間でより学びを深め・広げられる、効果的な手法を探っています。
戸板女子短期大学 国際コミュニケーション学科での私の講義は、
ビジネス概論、情報リテラシー、アルゴリズムとデータベース、
またゼミやインターンに関する科目が私のスケジュールを埋めています。
ICTとビジネスに関する科目ですね。
特に着任初年度となる現在、担当する講義については、イチから講義資料を作り上げています。
どれも短大生にとって、重要な科目です。
カリキュラムを作る側になってわかったことは、学生が学びを深めることができるように、
カリキュラム自体が、毎年熟考の上に改善し、アップデートされているということ。
特に戸板女子短期大学では、短期大学の2年という限られた時間の中で、
どうしたらより効果的に学生が成長できるのかを考えています。
そしてコロナというインシデントの中で必要に迫られて始まったオンライン講義にも、学びを広げる可能性が出てきました。
オンラインだからこそ、リアルではできなかった利点もありますから。
現在はオンライン講義の効果も検証しつつ、次年度以降のカリキュラムに活かそうと関係各所と調整をしています。
3度の留学と日本行脚。好奇心に突き動かされ、視野を拡げた大学時代。
私の学生時代についてお話しします。私は大学生時に3回留学を経験しました。
大学1年の時に2度長期休暇を利用して各1ヶ月の短期留学をし、3年時に、半年間の留学をしています。
私は山形県の生まれで、高校を卒業する18歳までずっと山形で育ちました。
今とは違いインターネットもなく、同じ空の先に広がっているはずの世界を夢想する日々でした。
「早く世界を見てみたい」という意識が強くありました。
大学に入学してすぐにゼミ形式の講義がありました。
その時の先生が夏に1ヵ月北京大学に短期留学の引率をされるというのです。
すぐに応募しました。そして、その年の8月には北京にいました。19歳にして初めて飛行機に乗りこんで。
1994年当時の北京は、空港から市内への幹線道路を農業用の荷台を積んだ馬車が走るなど、すさまじく発展途上でした。
また、大学の構内に、池ではなく湖があるなど、そのスケールの大きさに圧倒されました。
そして、レストランである餐厅でヘビやカエル料理を食べたり、イメージと異なり、特にカエルの唐揚げは食べてみると美味しいのですが、食の多様性にも驚かされました。
この経験があまりに刺激的だったため、その後大学1年の冬休みにもう1つの大国アメリカに1カ月間、短期留学しました。
すると、意外にもアメリカでも馬車が走っているのを目にしました。
しかも車がない時代の19世紀に走っていたような馬車です。伝統的な生活をするアーミッシュのものだと知りました。
アメリカも中国も両方とも1カ月という短い期間でしたが、現地でしか体験できないことの連続で、
両大国を実際に自分の目で見て、五感で感じられたことは幸運でした。
そうしてひとつ、気付いたことがありました。
中国やアメリカの同年代の学生たちと話していると、必ず日本のことを聞かれました。
しかし、それら1つ1つの質問に対して満足に答えられていない自分を認識しました。
世界を知りたいと思って、中国やアメリカに行ったけれど、
結局は自分が生まれ育った日本のことを良く知らないという事実を思い知らされました。
そこで、大学2年の夏に日本各地を実際に訪れました。
JRより現在も販売されている「青春18きっぷ」という普通電車や快速電車であれば乗り放題のチケットを使い、東京から電車を乗り継いでの旅でした。
1995年は、ちょうど戦後50年ということで、日本を再考するイベントが多かったように思います。
8月6日は、広島の原爆ドームを訪れ平和記念式典に参列し、8月9日は、長崎を訪ねました。
後述しますがその後、大学3年生のときには上海に半年間ほど留学することになります。
さらに、社会人になってから英国の大学院に留学して修士号を取りましたが、
今思い起こせば、はじめの北京での短期留学がなければ留学していなかったかもしれません。
あの夏初めて海外で過ごした時の衝撃が、振り返れば現在につづく道筋の始まりでした。
好奇心や、飽くなき知識欲の赴くままに行動できた学生時代。
大人になってから、大学で過ごしたあの期間はとても尊いものだったと思います。
好奇心をもってやりたいことを全力でこなしていくと、道が開かれることがある
将来のことは誰にもわかりません。
それであれば将来を見据えつつ、
今、好奇心をもってやりたいと思うことをやってみることです。
そして、目の前のことに全力で打ち込むと、道は開かれるように思います。
たとえば、私の経験からは、
大学2年次までに卒業に必要な126単位のうち110単位以上をとっていたため、
3年生と4年生で20単位にも満たない単位しか取る必要がありませんでした。
その時に、そのまま日本にいるという選択肢ももちろんありましたが、
将来を見据えて今しかできない経験がしたいと思い、海外で学ぶことを決心しました。
留学の種類には、協定留学や交換留学などがありますが、
私の場合は、行き先も学ぶ内容も自主的に自分で決める、いわば自主留学。
アメリカと中国の2つの国を見て、当時動きの激しかった中国の、上海を選択しました。
留学といえば大学を休学していくこともありますが、休学すれば、1年卒業が遅れます。
それは避けたかったため、大学をそのまま続けたまま行けるギリギリの半年間ほど行くことにしました。
3年生の前期の期間は、上海の大学にも在籍しますので、その期間はダブルで在籍していることになります。
この計画について、あらかじめゼミの担当教授には許可をいただき、少し早めに2月から上海へ渡航したのですが、年度初めの4月には履修登録が必要です。
現在であれば、履修登録はインターネットでできますから何も問題はありません。
しかし当時はまだインターネットがありませんでしたので、リアルに大学に行き履修登録をする必要がありました。
そこで友人たちに手伝ってもらい、4つくらいの科目を代理人として履修登録してもらいました。
しばらくして、その友人は上海に遊びに来ました。お礼に上海蟹で歓待したように思います。
やりたいことを全力でこなしていくと、道が開かれることがあります。
戸板女子短期大学では、教員の方も職員の方も、 コミュニケーションが豊かで新任の私を助けてくれようとします。
講義の内容を充実させるために、学生の学びを最大化するために、どんな講義にしようかと考えていると、
他の先生がドンピシャのタイミングで参考資料を送ってくれたりします。
こういったことに救われつつ、感謝しながら仕事を進めています。
人は1人でできることは限られているけれど、
協力すると2倍にも3倍にも成果をあげられるということを実感しています。
戸板女子短期大学では、学生が成長する魅力的なプロジェクトが目白押しです。
はじめは好奇心で応募したことが、そのことが好きになって、楽しんでいる間に自分のものとして身についていることがあります。
それが「知好楽」であり、戸板女子短期大学の開学者の戸板関子先生の教えでもあります。
戸板女子短期大学で楽しみながら学んでいきましょう。
本件に関するお問い合わせ先
戸板女子短期大学
入試・広報部 高山まで
TEL 03-3451-8383